思考と行動における言語

「思考と行動における言語 S.I.ハヤカワ」引用

記号は・物そのものではない。 地図は・現地ではない。コトバは・物ではない。

地図と現地(Maps and Territories)
 ある意味でわれわれは二つの世界に住んでいる。第一にはわれわれのまわりの出来事の世界(world of happening)で、それは直接知り得るものである。これは極めて小さな世界で、われわれが実際に見たり聞いたり触れたりする事物の連続のみでできており─われわれの感覚の前を常に通り過ぎている出来事の流れである。この個人的経験の世界に関する限り、もし行ったことがなければアフリカも南米も、アジア、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスも存在しないことになる。直接にどのぐらい知り得るものかと考えてみると、それはほんの僅かなものであることがわかる。
 われわれの知識の大部分は、両親・友人・学校・新聞・書物・会話・講演・テレビなどから得るが、それはコトバで受け取る。たとえばわれわれの歴史の知識はただコトバによってだけ伝えられる。ワーテルローの戦があったという唯一の証拠は、その事のあったという報告(report)があるということだけである。それらの報告はそれが起こっているのを見た人がわれわれに伝えるのではなく、他の報告に基づいている。報告の報告の報告、そしてさかのぼれば最後には、それが起こっているのを見た人々によるナマの報告(first-hand reports)にたどり着く。われわれが多くの知識を受け取るのは、報告や報告の報告を通してである。政府についても、中東の事情についても、下町の映画館で何をやっているのかということについても─われわれが直接経験で知るのではないことはすべて報告で知る。

 コトバを通してわれわれに達する世界を、自分の経験で知り得る世界と対比して言語的世界(verbal world)と呼び、後者を外在的世界(extensional world)と呼ぼう。人類は、他の動物同様、幼年時代から外在的世界と近づきになり始める。けれど他の動物と違い、理解することを学ぶやいなや、報告、報告の報告、報告の報告の報告を受け取り始める。それに加えてかれは報告からなされた推論(inferences)や、他の推論からなされた推論、推論の推論の推論を受け取る。子供が五、六歳になり、学校や日曜学校に行き、友人ができる頃までには、道徳・地理・歴史・自然・人々・遊戯などについてかなりの量のまた聞き、またまた聞きの情報(information)を蓄積している。─それらの情報がすべて集まってかれの言語的世界を形成する。(中略)この言語的世界と外在的世界との関係は、地図とそれが代表する現地との関係に似ている。子供が青年に達し、経験の拡大と共に自分の周囲に見出す外在的世界とかなり密接に対応する言語的世界を頭に収めていれば、かれは自分で見出したことに驚いたり傷ついたりする危険が比較的小さくてすむ。それは、かれの言語的世界が、どんな事に行き当たるかを前もって多少なりともかれに知らせてくれているからである。かれは、人生への備えができている。ところが、もし、かれが頭にアヤマリの地図を持って成長すると─すなわち、アヤマリの考えと迷信で頭が一杯になっていると─かれはいつも困難に出会い、努力を空費し、バカみたいなおこないをする。頭の中のアヤマリの地図のためにわれわれが犯すバカげたことが時には日常化しているためにしているために、そのはなはだしさに気づかない場合がある。(中略)
 どんなに地図が美しく描かれていても、それが場所相互の関係、すなわち現地の構造を正しく示しているのでなければ旅行者の何の役にも立たない。たとえば芸術的効果を上げるために湖の輪郭を大きくへこませてしまっては、その地図は無価値である。ただ慰みに描くのであればその地域の楮を無視して湖や川や道路をどう飾ろうと曲げようと、それはいっこうに差し支えない。誰かがその地図によって旅行をしようとさえしなければ、害はないが。
 同様に、想像やアヤマリの報告で、または正しい報告からのアヤマリの推論で、または単にコトバを飾ろうとするために、われわれは気ままに、外在的世界と何の関係もない「地図」を言語で作ることができる。これも、誰かがそのような「地図」が現実の地域を再現していると思い誤らない限り、害はない。
 われわれは皆、多くの役に立たない知識やアヤマリの情報、間違いを受け継いでいる(以前には正確だと思われていた地図)、したがって、われわれが聞き覚えたことの中には投げ捨てなければならない部分が必ずある。われわれに伝えられる文化的遺産は─科学上の、また人間関係上の、社会的にプールされた知識は─主としてそれが経験の正確な地図を与えるものとわれわれが信じていたので価値があるとされて来た。言語的世界と地図との類比は大切な類比なので、この書物でしばしば引用される。この点で注意すべきはアヤマリの地図が頭に入るには二つの経路があるということである。一つは、人から与えられる。一つは与えられた正確な地図を自分で読み違えて作ってしまうのだ。』

[ BOOK ] Posted by hara at 2003年10月28日 10:50
コメント

言語学の本ですか?面白いですね。これは書籍で購入できるのでしょうか?

菅谷 at 2003年10月28日 13:17


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